「頭がいい」ということの本質

 中学、高校、大学、社会人そして30代になった今でも僕は試験勉強をしている。こんな人生しているとは全く思わなかった。受験生やってる期間のが人生の中の3分の2を占めようとしているのだ。

 

 僕は「頭が良くない」と思う。

 

 中学までは全くと言っていいほど勉強はやっていない。でも授業は聞いていたし、塾にも通っていた。周りのみんながそうしていたからだ。別にやりたくてやっていたわけではない。でも、塾に行くと勉強をせざるをえない。だからある程度の知識を見つけることができた。そうなると学校の点数とかは簡単に上がる。

 

 →いやそれを頭いいって言うんだろ?

 

 そうです。でもちょっと違うかも。おそらくですけど勉強ができない、俺は頭が悪いって思っている人って教科書とかまともに読もうとか、問題を解こうとかそれすらもやっていないと思います。

 

 →だってつまらないじゃん

 

 はい、つまらないです。僕も中学高校までほとんど勉強の楽しさなんてわかりませんでした。周りのみんなが塾に行ってるから僕も行こう。テストの点数いいと親に何か買ってもらえるから塾行こう。ただそれだけです。なんとなく塾の先生や学校の先生の言う通りのことをやってると案外点数は取れます。だけど優秀な点数は取れません。僕もなんとなくクラスで上の方ってだけで、別に優秀な点数を取れる人間ではありませんでした。

 

 それはなぜか?

 

 そう、自分で能動的に勉強をすることがなかったからです。先生に言われたところをただなぞっただけ。比較的好きだった社会系の科目は面白いので能動的にできたから点数はよかったです。つまり、どれだけの時間辛いことに耐えて繰り返し勉強することができたか。それに尽きると思います。

 

 これはどんなことにも当てはまると思います。歯磨きやお風呂、トイレなど最初子供の頃はできなかった。でも毎日毎日せざるをえないから覚える。繰り返して行けばできるようになるわけです。

 

僕はこれが勉強ができる、つまり頭がいいと言うことだと思います。

 

 同じことをなんどもなんども繰り返す。

 

僕は高校の時数学が全くと行っていいほどできませんでした。当時は頭のできが悪い、とか俺は文系とかなんとか言い訳を言ってあまりやりませんでした。でもそれでもコツコツやらないと行けないのです。そうしていれば絶対できるようになったと今なら確信できます。繰り返しやらないと何にも身につかない。そんなの当たり前なんです。

 

「子供の頃の習慣が大人の思考を鈍らせる」

 子供の頃自分は勉強ができなかったから、俺は勉強ができないからやらない。とかなんとか言い訳を言って学習することから逃げてしまう。この呪縛は相当強いです。僕はこれがもったいないなーと思うわけです。

 

32年生きてきて思うのは繰り返しをすればほとんどのことはクリアできると思うわけです。

 

例えば、野球が好き。将来の夢は野球選手!そう言う人の練習時間をよくよく見ると対してやっていないことが多いです。一流選手って死ぬほど努力していますよ。

 

色々言ってきましたけど、僕が言いたいのは、頭がいい=辛いことでも繰り返し行うことができるだと思うわけです。これさえ意識してできれば大体のことはできるようになると思います。もちろんセンスやらなんやらが問われる域まで行こうとなると並大抵な努力ではダメだと思いますけども。